福島原発事故

Share  

大震災から5年の節目を迎え、いろんな特集番組が放送された。13日のNHKスペシャルは「原発メルトダウン 危機の88時間」だった。最悪の事故を起こした福島第1原発。最前線で人々が何を考え、どう行動したか、関係者500人を取材しドラマ化。事態が最も深刻化した88時間を再現していた。

迫りくる放射能汚染の危機とそれに対処しようとする人々の姿が臨場感あふれる形で再現されていた。全電源喪失という想定外の最悪の事態に直面し、メルトダウンと原子炉爆発の危機を避けるための努力が続けられる。しかし、1号機が水素爆発、続いて3号機も爆発し、原発建屋の上部が吹き飛んだ。

炉心を冷却するための装置が機能不全になり、炉心内部の温度・圧力が高まる。圧力を下げるためにバルブを開こうとするが、すでに線量測定器が振り切れる(1000mSV以上)ほど汚染され、人間が近づくことができなくなり失敗。外部から、消防車を使って冷却水を注入することにも失敗。1,3号機に続いて2号機も爆発の危険に晒される。

最後に残った手段は、ドライウェルのベント弁を開放し、消防車から水を注入することだった。しかし、ベントを開けた後、水を注入でなければ大量の放射能が放出されることになる。現場の技術者たちはそのことを危惧し上層部に進言する。しかし、東京の対策本部の東電幹部、さらには原子力委員長までもが、早くドライウェルのベント弁を開けることを要求する。現場と東京の事態認識に大きなギャップがあった。

結局本部からの指示に従うことになるが、現場の技術者や責任者たちが危惧したように、水を注入することはできなかった。致死量(24SVで15分で死亡)を超える放射能のため、人間が近づくことができない消防車のエンジンが止っていたからだった。ベントを開けたことで大量の放射性物質が放出されることになった。そして2号機の炉心溶解、メルトダウンが始まった。

現場作業員たちに命の危険が迫っていた。6400人いた作業員は、一定量の放射能を浴びれば現場から離れ退去し、700人に減っていた。人命優先で、一部の主要メンバー以外への退去指示が出された。吉田所長は死を覚悟した。のちに国会証言で、「私たちがイメージしていたのは東日本壊滅だった」と述べている。

日本政府は、メルトダウンやSPEEDI(放射能汚染地図)の情報を開示することなく、10km、20kmと何度も範囲を広げて住民の避難指示をだした。結果として、SPEEDIが示す高い汚染地域(原発の北西方向)への退避につながってしまった。自力では退避できない病院患者たちは取り残され、電源を絶たれ医療機器が動かず、備蓄の医療品もなくなり、結果として何人もの人が命を落とすことになった。水、食料、医療品の手配をするが、配送されないという事態に陥った。配送の担当者は行こうとするが、会社から退去命令が出ているからといって、それを許さなかった。

日本のテレビや雑誌の報道で、メルトダウンやSPEEDI情報のことが開示されたのはずいぶん後になってからだったと記憶する。ドイツでは震災の翌日から、水素爆発やSPEEDIテデータがネットで公開されていた。1週間後、大前研一さん(元マッケンジー)が主宰するインターネット放送で、「地震発生から1週間、福島原発事故の現状と今後」を解説していた。こちらの記事で引用した。

「メルトダウンが起きている」、「東電や原子力業界のトップたちは事務屋で、原発のことを分かっていない」と言っているのが印象的だった。大前氏は原子力が専門で、若い頃原子炉設計に携わったが、幹部たちの技術に関する無知に嫌気がさして会社を辞め、コンサルタントになった人である。

過去の事故

  • 1995年12月 「もんじゅ」ナトリウム漏洩火災事故
  • 1997年3月 東海再処理工場固化施設火災爆発事故
  • 1999年9月 JCO 臨界事故 →作業員2人が死亡、被ばく者667名(公に認定)

当時米国在住だったため日本のニュースには疎く、その内容をよく知らなかった。いま調べなおしてみると、原子力事故の恐ろしさがひしひしと伝わってくる。とくにJCO臨界事故は恐ろしい。たった1mgの核燃料(硝酸ウラニル)が、バケツに入れた状態で臨界に達した。つまり核分裂が連続して起こったというのだ。動燃で使用されるウランの濃縮度は3~4%だが、臨界事故を起こしたときは18.8%という高濃度になっていたという。

濃縮ウラン製造の作業工程を改ざんし、規定の6~7倍の量を一度に混ぜた硝酸溶液を、使ってはいけないバケツに入れて沈殿槽に移していたのが原因で、突然青い閃光を発し、臨界を越えたという。明らかに人為的なミスだった。作業員はだれひとり、その作業が臨界事故を起こすかも知れないという認識がなかった。

原子炉施設でもない工場の一角に、突然「裸の原子炉」が出現したということだ。被爆した作業者の一人は、16 - 20グレイ・イクイバレント(推定16 - 20シーベルト[Sv]以上)被爆した。6.0Sv(致死線量)では、2週間以内に90%が死亡するといわれる。この作業員はすぐ治療をうけたが83日後に多臓器不全で死亡した。放射線が遺伝子を切断し、細胞の再生ができなくなったからだ。現在も被爆者に対する有効な治療法はない?

THE 放射能

~人間 vs.放射能科学はどこまで迫れるか?~という日本テレビのドキュメント番組を見た。冒頭で、放射能の影響と恐ろしさに関して人間はいかに無知であったかを紹介していた。「放射能は怖くない」と教えられていた。第二次世界大戦後、アメリカは爆心地の近くで人間はどこまで戦えるのか?人体実験をしていた。その数25万人ともいわれるAtomic Soldier~アメリカ政府が責任を認め、兵士たちに賠償するまで40年かかった。

チェルノブイリ原発事故で多発した、子供たちの甲状腺がんが、放射能が原因だと認められるまで20年の歳月を要した。5年前の福島原発事故で、100mSv以下の低線量被ばくを受けた作業員たちも病魔に襲われている。しかし、それが放射能の影響によるものだと認定されない。

日本の原発で働く放射線業務従事者はおよそ7万人。そうした人々はいつ被ばくすか分からないという不安の中にいる。被ばくし病魔に冒されても、その原因が放射能によるものと認められることになるには、どれほどの歳月が必要なのだろうか?いろんな症例で、それが放射線の影響かどうかについては、研究者たちの意見は分かれているのが現状だ。

東日本大震災