形見

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形見とは、死んだ人や別れた人を思い出すよすがとなるもの。残された品。遺品。遺児。過去を思い出させる記念の品。語源由来辞典によれば、文字通り、「形を見る」という意味から生じた語。残された品を見ることでその人を思い出し、形(その人)が見えてくるようなものなので、「形見」と呼ばれるようになった。

真の友は一つの品物を半分に分けて所持する習慣があったことから、「片見」と書き「かたみ」と呼ぶようになったという説もあるが、「片見」の漢字表記や「半分に分けて所持する」といった意味で用いられた例はないから、それは俗説であろう。「かたみ」は古くから「形見」と漢字表記されている。

日々の生活に追われている人は、故人を思い出したり偲んだりする暇がない。いや「暇がない」というのは言い訳である。暇があれば思い出すというのはおかしな話だ。日頃から思い出すことがないのは忘れているだけのことだ。家に仏壇があり、毎朝欠かさずに仏壇に手を合わせる習慣があれば、故人を忘れることはなく、毎日その人を偲んでいることになる。

死者を悼むというのはどういうことか?縁もゆかりもない死者を"悼む"ために全国を放浪する青年と夫殺しの女性の旅の行方を描き、人が誰しも直面する死のあり方を問う物語がある。直木賞を受賞した天堂荒太の小説「悼む人」である。2012年に舞台化(向井理・小西真奈美)され、2015年に映画化(高良健吾・石田ゆりこ)されている。

小説の主人公「静人」は問いかける。「この方は生前、誰を愛し、誰に愛されたでしょうか。誰かに感謝されたことはあったでしょうか」…愛し愛され感謝されたことを知ることがその人を"悼む"ということだと天童荒太はいう。悼み方は人それぞれだが、子が亡き親を悼むときは、子を愛し子に愛され子に感謝されたと思うことが亡き親を悼むということだ。親の形見が手元にあれば、それを目にするたびに亡き親のことを想うことになる。それが供養になるものだ。

「自分が残したものを 誰かが受け継いで 未来に つなげてくれたら 生きてよかったって 思えるよね」