お葬式と終活

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この数年、親族の不幸が続いている。母の兄は90歳を越えてなお元気だが、ほかの叔父叔母は父方も母方もみんな亡くなってしまった。この一年間で、一人の義理の叔父を含めて4人が相次いで他界した。母も91歳で逝った。老衰で静かに亡くなり、穏やかな顔だった。すい臓がんで激烈な痛みがあるはずなのに平静な表情で旅立った父のことを思い出す。

私もいずれ旅立っていく。だれも抗うことのできない宿命である。たくさんの葬儀に参列してきた。親族の葬儀では、父、そして母が葬儀の慣習を教えてくれた。実家での葬儀は、村の慣習に則って行う。喪主、遺族はほとんど何もしなくていい。村の人たちが数十人駆けつけ協力して葬儀を執り行ってくれる。遺族は村の人たちの指示に従っているだけで良い。

父の葬儀(夜伽、通夜、告別式)は実家で行った。母のときは葬祭場だった。古いしきたりが残る大和の田舎でも大きな時代の変化が起きている。10年ほど前から自宅ではなく葬祭会館を借りて通夜、告別式を行うようになった。香典、供花、樒(しきび)も遠慮するようになった。

※樒は、関西圏の風習で他の地域での花輪に相当する。大和ではシキビというが全国的にはシキミというようだ。実や花には有毒物があり、枝葉からは独特な香りが漂う。悪霊が退散する、死臭を清めるといわれ、別名「仏前草」と呼ばれる。神前に捧げる榊に似ているが別物である。昔のお葬式では写真のようなシキビが自宅前の通りに何本もずらりと並んだものである。いまは廃れてしまって、ネットにも画像が少ない。土葬の時代の遺物になってしまった。

父が亡くなったときは海外に滞在していたこともあり、葬儀後の法事は母に任せてしまった。しかし母の葬儀、その後の法事は自分が取り仕切らないといけないので、いろいろと勉強した。もう二度と喪主になることはないが、自分の葬式のことは死ぬ前に決めておきたい。子供たちが村の慣習にしたがった葬儀・法事をおこなうことは困難だから、また数百万円の葬儀費用も負担が大きいから、できるだけ簡素にできるように書き残しておきたい。

これが「終活」の始まりである。映画やテレビ、雑誌で「終活」ということばや「エンディングノート」(2011公開)のことは知っていたが具体的に自らの問題として考えたことはなかった。「そろそろ準備しておかないとなあ」という程度だった。

日本葬儀新聞社や、葬儀会社、司法書士事務所などのサイトからエンディングノートの雛形を無料でダウンロードできる。本屋さんに行けば終活に関する書籍がたくさんあり、エンディングノートも売っているが、最初はWebかWordでドラフトを書いていこうと思う。雛形を見ると、自分史、思い出、経歴、家系図、医療・介護、葬儀、事前戒名、保険、遺産、相続、遺言など、じつに多くのことを書き残すようになっている。家系図作成や思い出の写真整理も含めると数年がかりの仕事になりそうだ。

20数年前に弟が亡くなり、十数年前に父が亡くなった。それ以来、解決策のない深刻な悩みを引きずっている。「イエ」を継ぐ者がいない。先祖代々の田畑を守り、父が建てた家を守り、仏壇を守るものは? 先祖代々の墓を守るものは? 私が生きているうちは守り続けるが、その後がない。娘は「イエ」を出て行くものだという古い考えはないが、娘たちがキャリアを断念し、養子をもらってイエを継ぐということはありえないことだ。ではどうする? 行き場のない思いが堂々巡りをするだけだ。

終活でまずできることは、自分の葬式について考え、書き残すことだ。母の葬儀でずいぶんといろんなことを学んだ。というか、知らないことが多すぎた。先祖のことは祖父母とその兄弟姉妹のことくらいしか知らない。それも子供の頃に見聞きしたことだけだ。妹たちと昔話に花を咲かせていて、いろんなことを知った。上の妹がいちばんよく知っている。

母の葬儀は、私が夜伽に間に合わなかっため、妹たちがあれこれと段取りをしてくれた。感謝のしようがないくらいありがたいことだ。村の人が17人、実家に集まって葬儀一切の段取りをつける相談をした。経験の乏しい遺族の希望と、村のしきたりを教えてくれる村人たちとの間で折り合いをつけるのが肝要だ。村の総代をしている、妹の同級生にも相談し、村の長のような年長者にも相談する。幼馴染の寺の住職にも相談する。それが村の付き合い方だ。

浄土真宗東本願寺、通称「おひがしさん」というのが家の宗派だった。正確には東本願寺派ではなく、「真宗大谷派」という。そんなことも知らず東本願寺か西本願寺かとときとして迷うくらいの知識しかなかった自分に呆れ、情けなくなった。葬儀を終えてから付け焼刃の勉強をした。

親鸞の教えは、ほかの宗派とはずいぶんと違っている。世の中で常識になっているような仏教の教えや一般社会の慣習、大和の村での慣習とも大きな違いがあることに驚いた。他力本願の意味、門徒宗や一向宗、門徒物知らずの意味も学んだ。

たとえば、葬儀後の仏事で逮夜の日程が組まれ、当たり前のように初七日、二七日、三七日と法事をするが、浄土真宗ではしない。お経をあげてもらったお坊さんに毎回お布施、粗飯料を数千円~数万円を渡すが、これがないということだ。人は亡くなると阿弥陀如来の本願(これが他力)で「仏」になるというのが親鸞の教えである。故人は即「仏」になったのだから、冥土への道に迷わないように線香の煙を立てることも、三途の川を渡ることもない。回向する必要がない、追善供養はないということだ。位牌もなければ、迎え火/送り火も不要だ。

「坊主丸儲け」の商売を否定するのが、親鸞の教えだ。他宗派にとってこれほど迷惑なことはない。だから、「門徒物知らず」と揶揄する言葉が生れたのだろう。

門徒宗は「物知らず」なもので、とへりくだり、村のしきたりを守るふりをして家の中では親鸞の教えを守るという智慧を働かす。大和地方では50軒くらいの集落(小字と呼ぶ)がムラの単位で、ムラの中心にはかならずといってよいほどお寺がある。キリスト教国で街の中心に教会があるのと類似している。私のムラの寺は真宗大谷派だが、ムラのしきたり(慣習、風習)に添って法要をしている。初七日、二七日とお経をあげる。故人の命日にも毎月お経をあげに各戸を回る。祖父母、父母が異なる日に亡くなっていると毎月四回お経をあげに坊さんが来るということだ。

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  • 戒名 20,000円~
  • 火葬式葬儀の読経料 55,000円 (一般的な通夜や告別式、初七日を行わず、火葬のみで故人を送る葬儀)
  • 電話受付9時~21時(土日祝可) 0120-330-673