1月 2014

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田園地帯の中の大都会

天香久山に登ったあと極楽湯温泉に向かったが、その前にイオンモールに寄った。なんども近くを通っているが中に入るのは初めてだった。一歩足を踏み入れると、三階まで吹き抜けの空間が広がる。コの字型の各階に専門店がびっしりと軒を寄せている。日用雑貨や食料品店はもちろんのこと、喫茶店や美容室、カルチャースクール、映画館やレストラン街もあれば大型スポーツ店もある。驚いたことに1階の一角には570万円のMUSTANGほかの外車が展示販売されており、HONDA販売店もあった。多くの外資系企業が軒を連ね、日本企業もほとんどが英語表記なので、一瞬アメリカにいるような錯覚にとらわれる。その一方で、順日本的な光景も目にする。1階の広い通りには屋台(とは言わないのだろうが)が並び、通路の真ん中では金魚すくいに興じる親子がいたりする。

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天香久山

 天香久山に登った。JR香久山駅から徒歩50分で標高152mの頂上に着いた。途中の「古池」あたりから緩やかに登る山道になる。すぐ「万葉の森」の入り口に着く。香久山の北の斜面一体が自然の公園になっており、いたるところに万葉歌人の石碑が置いてある。樹木には名前と特徴を書いた案内板が掲げてある。しばしたたずみ勉強するのに好都合だ。

公園内に人影はなかった。ぶらりと歩き十数分で香久山への登山口に着いた。急な階段を登るがそれほど長くはない。十数分で頂上に着く。数十メートル四方ほどの平らな場所になっており北側に国常立神を祀る神社が、意外と質素なたたずまいを見せていた。眼下に藤原京跡を見渡せ、畝傍山、二上山も眺められた。春夏秋には多くの人が来るのかもしれないが、いまは誰もいなかった。


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山の辺の道

三日前、昼食後晴れたので思い立って桜井駅から巻向駅までの「山の辺の道」を歩いた。総歩行距離10km、写真を撮り寄り道をしながら4時間ほど散策した。正月休みが終わり仕事が始まった季節はずれの山道に人影は少なかった。※景行天皇陵までの山の辺の道は7km、2時間が標準的な距離と時間である。

写真は狭井神社(くすりの神様)から久延彦神社(知恵の神様)に向かう途中の展望台から撮った。金剛・葛城参詣を背景にした大和三山が眺められ、おりしも雲間から後光が差すように太陽の光が地上に伸びていた。耳成山の右手前に見える三輪明神の大鳥居の威容が印象的である。

古代の官道として飛鳥・藤原京時代の横大路から西へ伸びる竹内街道、北へ延びる上・中・下ツ道が名高い。上ツ道のさらに東にあって三輪山から北へ連なる起伏の多い山裾を縫うように延びる道、山の辺の道も有名で、とくに春の桜、秋の紅葉を求めて歩くハイキング客に人気がある。

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忘己利他(もうこりた)

瀬戸内寂聴さんが「生きるとはどういうことですか?」と聞かれて答えたのが天台宗の教えにある「忘己利他」という言葉だった。「自分を忘れ他人のために生きることを理想としています」ということだった。

今年、数えで93歳になる寂聴さんは京都・嵯峨野の自宅での月一回の説話会、東北や徳島に出かける講演会、月5本の連載の執筆など、いまなお精力的に活動している。

今夜の番組で寂聴さんの人生が紹介されていた。大学在学中の20歳のときに結婚し、夫の勤務先であった北京で暮らし子どもを授かる。終戦後、実家がある徳島に戻ったとき、母が空襲で亡くなったことを知る。夫の教え子を好きになり、「不倫・離婚」、子どもを捨て「駆け落ち」し小説家を目指すが、子宮作家と揶揄される・・・そういう話はこれまでも聞いていた。

しかし実際はちょっと違っていた。「不倫・離婚」は事実で、4歳年下の大学生を好きになったことも事実だが、キスをしたこともないというのが事実だという。当時の時代背景を考える必要がある。

男女7歳にして席を同じうせずの世の中。中高生が男女一緒に海水浴に行っただけで、刑事が事情聴取に来た時代である。「恋」という発想さえなかった時代だ。好きな人が心の中に存在するだけで「不倫」だといわれた時代である。